2008年12月08日

脱毛 右近 さんのイギリスのサイドカー

一度乗ってみたい!!


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四輪自動車がまだ高価で一般大衆に高嶺の花であった時、オートバイや自転車は実用的で手軽な足として使われていた。しかし、それらは大きな荷物を運ぶに適さず、また安全に多人数が搭乗することもできなかった。そこで、オートバイや自転車の横にもう一輪の車輪を取り付けたサイドカーが考案された。日本語でサイドカーの事を「側車」、オートバイのことを「単車」と呼ぶ。それは黎明期にはサイドカーは今よりももっと一般的であり、「サイドカーがついていないオートバイ」を区別して単車と呼んだ名残りである。

その発祥は、19世紀初頭のヨーロッパ(イギリス・フランス)である。当初、サイドカーは「スリーホイラー」とも呼ばれ、その名の通り、現在のトライクに相当する三輪オートバイのようなものが原型で、利便性と荷物の可搬性などをオートバイとして追求した結果、現在知られる形に落ち着いた(つまり、当時は「サイドカー」という別車種の認識ではなく、トライクの一種という認識であった) その後、メジャーな存在になるにつれて、サイドカーに豪華な馬車風の屋根付き側車を付けたものが登場したり、他、トラックの荷台のようなもの や、コンテナを積んだもの。家族でドライブ(今で言うツーリング)やピクニックに行く光景や、商売でたくさんの荷物を運送する光景、側車が露天屋台になっている物などが日常の光景として見られるようになり、その利用形態を色々と試行されながら発展していった。当時のサイドカーは、庶民の手軽な乗り物、すなわち現在の軽自動車に相当する地位にあったといえる。

第一次世界大戦から第二次世界大戦初期にサイドカーの性能は頂点に達し、特にナチス・ドイツは、四輪自動車の数量不足を補うために生産コストが安く、3名の兵員を輸送できるサイドカーを採用し、偵察や、兵員輸送に多用し、BMW-R71型やBMW-R75型、ツェンダップKS750型という後生に名を残す名車を生んだ。ソビエト連邦でも、先の BMW のコピー IMZ-M72 型を生産し、多用した。

このようにモータリゼーション黎明期、サイドカーは荷物や人の輸送に役立ち、戦場でも同様な役割を演じた。その後、ジープ、キューベルワーゲン、シュビムワーゲンなどの大量生産できる軍用四輪自動車が登場した。第二次世界大戦後、それらの生産技術が民需に転用され、安価な近代四輪自動車が一般大衆市場に出回るようになった。特に1955年、小型乗用車「オースチン・ミニ」の登場で安価な小型乗用車が大ヒットし、その余波を受けてイギリスのサイドカー需要は大幅に縮小していった。

日本においては、1937年に始まる日中戦争時に中国戦線に投入された側車部隊が、未舗装道路が多いためにうまく運用できず、サイドカーに対して便利な印象をもたれていなかったが、第二次世界大戦終戦後、GHQによる四輪自動車生産規制により、1950年頃まで事実上の四輪自家用車の製造が規制されていたような状態にあったため、比較的規制が緩やかであった三輪自動車やサイドカーが安価な国民の乗り物として一気に普及した時期があった。その時代、サイドカーは非常にポピュラーな乗り物で、日本中にサイドカーを製造するメーカーがあったが、GHQの規制撤廃後、四輪自家用車の製造、特に軽自動車製造の気運が一気に高まり、諸外国同様に、後の日本の国民車とまで例えられたスバル360に代表される安価な軽自動車の登場によって、サイドカー市場は一気に縮小し現在に至っている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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